Q&A
各講演へのご質問は次にご記入ください。
https://forms.gle/Hqfw68WgQnx9KwJi8
頂いたご質問は講演者に問い合わせた後に各質問者の方にメールでご回答差し上げると共に、こちらに掲示させて頂きます。
公開するのは質問内容と回答のみで、質問された方の情報は公開しません。
質問:講演資料は配布されますか?
回答:配布可能な資料につきましては後日、HPCwire Japanのホームページの「資料ダウンロード」サービスから可能となります。皆様にはご登録頂いた電子メールに改めてご案内差し上げます。
質問:HPCシステムズ株式会社『サイエンスクラウドとスーパーコンピュータ「富岳」が拓く計算化学のフロンティア』
GRRM+Gaussianの富岳計算事例のご紹介で、インプット化合物は具体的にはどのようになりますか? 何原子まで富岳上で実際的に計算可能できますか? また、GRRM解析はどこまで富岳上で可能ですか?
回答:
現在、この事例について論文作成をしておりますため、インプット化合物については、申し訳ございませんが開示できません。この事例では、反応経路の数が1万5千個といった大きな反応経路網を構築することを前提として、原子数30以下を目安として実施しております。ただし、GRRMには探索の規模を小さくする様々な機能がありますので、求める探索の規模によっては、もっと大きな分子についてもGRRMで反応経路探索を実行することが可能です。
「富岳」上で利用可能なGRRMソフトウェアは GRRM20 のみとなっております。GRRM-Basic、GRRM-Neo11 は「富岳」に対応しておりません。
質問:HPCシステムズ株式会社『サイエンスクラウドとスーパーコンピュータ「富岳」が拓く計算化学のフロンティア』
VASPの実行時エラーですが、予めノード数を増やせばエラー回避できるということはありますか?
回答:
ご提案ありがとうございます。VASPの実行時エラーですが、メモリ不足で動かないのではなく、動きつつも計算結果の数値誤差が許容範囲を超えてしまうというエラーとなりますため、ノード数を増やすことでは回避できないと考えております。
質問:基調講演1 『日米のコンピュータ技術格差~今後に向けて』小柳義夫様
PACS/PAXの開発ですが、京都大学・筑波大学ではなく、慶應義塾大学・筑波大学だと思います。川合先生は日立製作所から、慶應大学に移籍されていましたし、PAX-32は矢上で見た記憶があります。お手数ですが、確認をお願いします。
回答:
つたない講演をご笑聴くださいましてありがとうございます。
PACS/PAXの歴史は長く、いろんな方が関与しています。
PACS-9(1978)は、川合敏雄(日立)と星野力(京都大)のアイデアで、星野研の無線マニアの学生の実働で製作しました。https://www.hpcwire.jp/archives/49901
PACS-32/PAX-32 (1980)は、星野力(京都大)が学生を指揮して製作し、動作を確認し、これを使った修士論文もあります。年末、星野力が筑波大学に異動した際、すべて筑波大学に運び、組み立て直して、稼働させ、本格的に利用しました。川合(日立)も基本構想の発案者として名前が入っています。https://www.hpcwire.jp/archives/51196
1981年頃、川合先生は慶応義塾大学に赴任しました。
PAX-128は、1983年筑波大学のプロジェクトとして製作し、稼働しました。https://www.hpcwire.jp/archives/6207
PAX-32Jは、新技術開発事業団(JSTの前身の一つ)の委託を受けて、1984年星野研究室で開発しました。これまでのPACS/PAXはMotorola系でしたが、これはDECのJ-11というプロセッサを使っているのでJの字が入っています。最初、64プロセッサを予定していましたが、2つに分け、半分を慶応義塾大学に設置しました。ご覧になったPAX-32J(PAX-32とは別物)はそれだと思います。三井造船が商品として売り出し、ISR(リクルートスーパーコンピュータ研究所)が買ってくださいましたが、それ以外売れたのか不明??https://www.hpcwire.jp/archives/6396
以後も同様です。『新HPCの歩み』にも順次登場します。
というわけで、川合先生は発端のアイデアの創始者として「星野・川合のPAX(PACS)」と言われますが、開発プロジェクトとしては、初期に京都大、その後の大部分は筑波大学のものと表現しています。川合先生のクレジットは続いていますが。
ご理解いただけますでしょうか。
小柳義夫